『霧のロッヂで、夜はまだ明けない』

第1章|招かれざる訪問者
「山奥って聞いてたけど……ここまでとは」
ぬかるんだ地面に足を取られて、靴の底が湿った。
くねくねとした山道を越えた先にあったのは、
霧に包まれた、古びたロッヂ。
……静かすぎる。鳥の声もしない。
(無言で空を見上げる)
美琴。無口だけど、一番信頼できる親友。
この課外学習も、彼女がいたから参加した。
でも、ロッヂの入り口……
開いてる。
「先生、先に来てるはずじゃなかった?」
(うなずく)

人の気配がない。
だけど、湿った床に……何かが落ちてた。
スマホ。
画面が割れてるけど、電源はついてる。
ロックも……かかってない。
……
写真フォルダ。
最新の画像が、1枚。
――そこに写っていたのは、“顔”。
光のない目。開いた口。
……でも、人間じゃない。
加工? それとも……誰かのいたずら?
……いや、違う。
(しん……)
このとき、まだ知らなかった。
この“顔”が、
これから私たちの夜を狂わせていくことを。
第2章|夜が始まる
深夜0時。
ロッヂの廊下に、
誰かの足音が――ひとつ、増えた。
「……美琴、寝た?」
「……うん」
声が少し震えてる。
私も……寝れない。
だって、部屋の外から、さっきから……
カタッ
って音が、ずっとしてる。
……
トイレに行こうとして、
廊下に出たら、空気が変わった。
床、きしんでる。
……きぃ……っ
階段の下。
なにかが、いる。
人影。でも、すぐに霧に紛れた。

(……見間違い?)
部屋に戻って、美琴の方を見ると……
彼女の目が、ドアを見つめていた。
「……誰かが、立ってる」
コン……
コン……コン……
ゆっくりと、ドアが叩かれた。
「誰……なの……?」
……

返事はなかった。
そのかわり――
下から、ノブが……ゆっくりと、回った。
第3章|見てはいけない
ドアノブが回る。
美琴と顔を見合わせて、私は――
「開けて、いい……?」
「……うん。ゆっくり……」
……
カチリ。
開いた隙間から、
誰かが立っていた。
――顔が、ない。
というより、“見えない”。
服は制服。
でも、輪郭が滲んでいて、目も鼻も……ない。
「っ!」
私は一気にドアを閉めた。
心臓がうるさい。
「茉白……」
美琴の声。
でも、そこに――彼女の姿はなかった。
え……?
部屋に、ひとり。
あんなに隣にいたのに。
「美琴? ……どこ……?」
……

ふと、廊下の奥。
暗闇の中に、
誰かがうずくまっている。
――いや、違う。
見ている。
こっちを、笑って。
私は、叫べなかった。
第4章|呼ばれた名前
闇の中で“それ”が笑ったあと――
いつのまにか、そこには誰もいなかった。
でも、空気は変わっていた。
ぬるい。
肌にまとわりつくような、嫌な熱気。
……
「ましろ……」
声が聞こえた。
でもそれは、美琴の声に似ていて、
どこかが違う。
音の奥が、濁っている。
「美琴……?どこにいるの……?」
ふらふらと、声に導かれる。

ロッヂの奥――誰もいなかったはずの
物置の扉が、わずかに開いていた。
中には階段があった。
下へ、下へ。
コンクリの床。蛍光灯の光。
地下……? こんな場所があるなんて、
誰も言ってなかった。
そこに、棚と机。
そして――1台のスマホが置かれていた。
画面が光っている。
動画の再生画面。
勝手に、再生された。

……
映っていたのは、美琴。
でも、それは……美琴“ではなかった”。
顔は同じ。声も、同じ。
でも、目が、笑っていない。
そして、カメラの向こうで、
なにかを引きずっている音。
「やだ……これ、なに……?」
そのとき。
背後から、
「……ましろ」
肩に、冷たい手が触れた。
第5章|扉の向こうの“美琴”
肩に触れたのは――
美琴、だった。
「……どうしたの? 顔、真っ青だよ」
でも、その声が。
目の奥が。
なにか、違う。
「地下に……誰かがいたの……スマホが……」
「え? 地下……? 何の話?」
首をかしげる“彼女”。
でも、私は知ってる。
そこに、確かにいた。もうひとりの“美琴”。
部屋に戻って、ふたりで鏡の前に立ったとき――
……

鏡に、映っていた。
美琴が、ふたり。
「……え?」
「……私、そんな顔してる?」
右側の美琴は、笑っている。
でも、左側の美琴は……
涙を流していた。
「……ねぇ、ましろ」
「どっちが、私だと思う?」
「やめて……そんなの、わかんない……」
鏡が、軋む。
それは、現実なのか、記憶なのか。
でも私の中で、
“美琴”が、ふたりになってしまった。
第6章|本物の選択
ふたりの“美琴”が私を見つめていた。
ひとりは涙を流し、
ひとりは笑っている。
「どっちが……本当の、美琴なの……?」
「私は、ずっと隣にいたよ」
「さっきまで、一緒に寝てたじゃん」
確かに。あの声は、美琴そのもの。
でも。
机の上に置いてあった、あの写真。
ふたりで撮ったプリクラ。
“本物の美琴”は、
そのとき髪を切ったばかりだった。
(……この美琴、髪が長いままだ)
私は、手を伸ばした。
“泣いている”美琴の手を、握る。
「こっちが……本物、だよね」
すると、笑っていた“もうひとり”の美琴が
にたり、と笑って
すうっと、鏡の中に沈んでいった。
まるで最初から“映像”だったみたいに。
……

「……ありがとう」
声が、震えていた。
私は、美琴の手を強く握り返した。
――その瞬間。
部屋の明かりが
バチン、と消えた。
私たちはまだ、手を繋いだまま。
でも、暗闇の中で
“その手”の温度が、変わった。
第7章|記録された声

停電の中、非常灯の赤い光だけが、天井でうごめく。
私は美琴の手を引いて、ロッヂの奥へ。
そこで見つけたのは、“管理室”と書かれた部屋だった。
埃まみれの机の上。
そこに、小さなボイスレコーダーが置かれていた。
「……再生、してみても……いい?」
「……うん」
カチッ。

再生ボタンを押すと、
ノイズ混じりの、男の声が流れた。
『……記録日時、2005年10月12日。対象、生徒・斉藤美琴――』
私は耳を疑った。
「いま……美琴って、言った?」
「……私、じゃない……と思う……」
音声は続いていた。
『……生徒はロッヂの階段から姿を消したまま、未発見。』
『最終的な記録映像には、“笑う生徒の背後に誰かが写っていた”』
ノイズが走り、最後に――
『……ましろ、見つけた……』
それは、
“美琴の声”だった。
となりにいる彼女が、
震える指で、自分の唇に手を当てた。
「……あれ、私……今、しゃべった……?」
第8章|取り憑かれた時間
録音が止まったあと、しばらく私たちは黙っていた。
「ましろ……」
「私……このロッヂ、来たことある気がする」
「え? でも初めてでしょ……?」
美琴の目は虚ろだった。
「なんか、昔……ここで、誰かといたの……誰だっけ……」

ギッ
部屋の奥に置かれていた時計が、音を立てた。
秒針が……
逆に動いてる。
何かが、戻ってる。
時間そのものが。
私の視界がぼやけ、空気がねじれた。
「美琴っ! 手、離さないで……っ!」
……
気づいたら、私はひとりだった。
廊下も、ロッヂも、色が変わってる。
……違う。
ここは、過去の“ロッヂ”。
10年前。

カレンダーには2005年の文字。
遠くから声がする。
「ましろ……また、見つけちゃった……」
その声に、私は振り返る。
でも、そこには鏡だけがあった。
映っていたのは、
“私じゃない”私。
「……私、誰……?」
第9章|鏡の中の約束
部屋の空気が、ふっと冷たくなる。
なのに、私の背中には汗が伝っていた。
鏡の前に立つと、
そこには……私が、いた。
正確には、“もうひとりの私”。
同じ制服、同じ髪型、同じ目。
でも、目だけが違った。奥の奥まで、空っぽだった。
「……誰……なの?」
鏡の中の“私”は、ゆっくりと口を開いた。
『――わたし。だけど、あなたじゃない。』
声が、耳元で囁くように響いた。震えるような高音。
『ここに残って。わたしの代わりに。』
意味が、わからなかった。
でも、心の奥がなぜか、それを理解していた。
“このままなら、誰かが消える”。
「嫌……戻りたい。美琴と一緒に……帰りたいの」
『それなら、選んで。』
『“約束”を、交わして。』
鏡に触れた指先が、冷たいのに吸い込まれそうになる。
そのとき、遠くから聞こえた。
「ましろっ! 聞こえる!? 私、ここにいるよっ!」
美琴の声。
その声が、胸の奥を掴んだ。
「わたしは……っ」
言葉にならない叫びを、私は吐いた。
鏡の中の私と、見つめ合ったまま。
『――交わそう。ふたりの、約束を。』
その瞬間、鏡が――音を立てて砕けた。
そして私は、暗闇に落ちた。
最終章|ふたりは、どこへ還るのか
目を開けたとき、私はロッヂのベッドに横たわっていた。
朝の光が差し込んでいる。小鳥のさえずりも聞こえる。
夢だったのか――そう思いたかった。
「おはよう。起きた?」
ドアを開けて、美琴が顔を出す。
いつもの、美琴。
でも、私の胸はざわついたままだった。
ふたりでロッヂを出た。山道を下り、バスに乗った。
誰にも会わなかった。
ただ、空だけが青すぎた。

「……なんか、変だよね」
「うん。街、静かすぎる……」
いつもの駅、いつもの街並み。
でも、時計の針が、
朝の7時35分から動かなかった。
そのとき、スマホが震えた。
画面には、見覚えのない送信者。
添付されたのは、1枚の写真。
植物園で撮ったはずの私たちの後ろ姿。
でもそこには――
“影”が、3つ、あった。
私と美琴の間に、もうひとつ。
人影のようでいて、形が歪んでいた。
顔は、映っていなかった。
「ねぇ……これって……」
「……まだ、終わってないんだよ」
ふたりは顔を見合わせた。
笑っていたけれど、
その笑顔は、鏡に映らなかった。
― END ―
君に触れる、その一秒前。

春。始まりの季節。
制服に袖を通すたび、少しだけ背筋が伸びる。
「おはよーっ!」
教室のドアを開けた瞬間、みんなの視線が一斉に向いた。
ちょっとだけ照れるけど、気づかないフリ。
「あ、悠真!」
「……おはよう、ひな」
席についてた悠真が、ちょっとだけ顔を上げてくれた。
……それだけで、なんか嬉しい。
「今日はさ、帰り寄り道しない?」
「どこに?」
「んー、秘密」
彼の目が、一瞬だけ驚いたように開かれて。
「……また変なとこじゃないだろうな」
「ひどっ、ちゃんとしたとこだよ~」
いつもの、他愛もないやりとり。
でも今日は、ちょっとだけ違う意味を込めてみた。
「ひな、行こっか」
放課後の帰り道、声をかけてくれたのは悠真だった。
いつもは私から誘うのに。
それだけで、心がきゅってなる。
「うん!」
横並びで歩くのに、どうしてこんなに意識しちゃうんだろう。
手が……ちょっとだけ、近い。
「ねえ、悠真」
「ん?」
「……手、つないでみる?」
一瞬で、顔が熱くなる。
「……いいよ」
ぎゅっと繋がれた指先が、春の風よりも温かかった

「ね、今日ちょっとだけ遠回りしよ?」
「……また思いつき?」
「うん。でも今日はちゃんと理由あるの!」
ふたりで歩く道が、いつもより長く感じる。
静かな住宅街を抜けて、小さな公園へ。
「ほら、ここのブランコ、前に一緒に乗ったの覚えてる?」
「……小学生の頃か」
「あのときもさ、私、転んで泣いたんだよね」
懐かしい記憶をなぞるたびに、胸の奥がじんわり温かくなる。
「悠真って、昔から変わらないよね」
「おまえは……変わったよ。すげー綺麗になった」
その言葉が、どこかくすぐったくて。
でも、すごく嬉しくて。
「……ね、悠真」
「ん?」
「私、悠真のこと、好きになってもいい?」
一瞬、風が止まった気がした。
「……もう、なってるくせに」
その言葉で、何かがほどけた。
泣きそうなくらい、嬉しくて。
「じゃあ、これって……恋人ってことでいいの?」
「……ああ。今さらだけど」
笑い合って、見つめ合って。
ようやく、ほんとうに「好き」と言える距離になれた。

日曜日の朝。少し早く目が覚めた。
スマホを手に取ると、メッセージが届いていた。
《10時に駅前。迷子禁止な》
既読をつける前に、顔がゆるんでしまう。
「……なにそれ、かわいいじゃん」
駅前に立っていた悠真は、白いシャツにベージュの上着。
普段よりちょっとラフで、それがまた新鮮だった。
「おまたせ!」
「時間ぴったりだな。さすが」
自然と手を伸ばすと、彼も繋いでくれる。
それだけで、胸がふわっとなる。
「ねぇ、今日行くとこ決めてる?」
「うん、ちょっと歩くけど……いいとこ」
連れてこられたのは、小さな植物園だった。
「……お花、いっぱい」
「ひな、花とか好きだろ?」
その一言で、心があたたかくなった。
「覚えててくれたんだ……」
「なんとなく。でも、喜んでもらえてよかった」
ひらひらと舞う花びらの下、ふたりの影が重なる。
「悠真、好きだよ」
「……俺も」
ゆっくりと近づいて、やさしく唇が触れた。
初めてのキスは、春の風よりあたたかく、やわらかかった。

月曜日の放課後。教室に残っていたのは、私ひとり。
窓から射しこむ夕陽が、ノートの上を照らしている。
さっきまで隣にいた悠真のぬくもりが、少しだけ恋しい。
「……はぁ、なんかバカみたい」
好きって言って、キスもして、やっと想いが通じたはずなのに。
それなのに――ふとした瞬間、なにかがすれ違う。
「悠真、今日冷たかったような……気のせい?」
心の中に、小さな不安が芽を出す。
《ごめん、部活のあと少し話あるって先輩に呼ばれてさ》
そんなLINEを読んでも、不安は消えてくれなかった。
私はもっと、悠真のことを知りたい。
でも、彼は……そこまで思ってくれてるのかな。
「なんで……こんなに不安になるの」

「ひな、今日、なんかあった?」
「……別に。なにもないよ」
「そっか。でも、目が笑ってない」
そうやって見抜いてくるところ、ほんとズルい。
「悠真ってさ、いつも冷静で……ずるいよ」
「俺だって、すごく不安だよ」
え……?
「ひながさ、俺のことほんとに好きなのか、たまに怖くなる」
まさか、悠真も同じこと思ってたなんて。
「私も……そうだった」
「好きすぎて、ちょっと怖くて……それで、逃げそうになった」
「でも、逃げないでくれて、ありがとう」
ふたりの不安が、そっと重なって、やさしく消えていく。
「これからも、ちゃんと言葉で伝えるね」
「俺も。ひなのこと、ちゃんと抱きしめるよ」
もう、迷わない。
ふたりで、ちゃんと恋をしていくって決めたから。

夕方の教室。カーテン越しに差し込む光が、淡く床を照らしていた。
放課後、誰もいなくなったこの空間は、不思議と落ち着く。
「こうやってふたりでいるの、ちょっと恥ずかしいね」
「恥ずかしいけど……悪くない」
ふたりの距離が、机ひとつ分から、椅子ひとつ分へ。
そして、あとほんの少しで、手が触れそうなところまで近づいた。
「ねえ、悠真」
「ん?」
「……“ひな”って、呼んでほしいな」
「……今までずっと“お前”だったもんな」
「そう。友達のときはそれでよかったけど……今はちがうから」
「……ひな」
名前を呼ばれるだけで、どうしてこんなに胸がきゅんとするんだろう。
「悠真……ありがと」
ふたりの視線が、そっと重なる。
「ひな、……こっちおいで」
その言葉のあと、ためらいなく腕が伸びた。
そして私は、悠真の胸に顔をうずめた。
鼓動が聞こえる。
優しいぬくもりが、すぐそこにあった。
「好き。大好きだよ、悠真」
「……俺も、ひながいないと、ダメになりそうだ」
名前で呼び合って、抱きしめ合って。
この瞬間、ふたりの恋は本当の意味で始まった気がした。
教室の窓に、ぽつ、ぽつと雨粒がぶつかる音が響いていた。
放課後。傘を差して、ふたり並んで歩く帰り道。

「こうして並んで歩くの、なんか落ち着くね」
「雨の音、意外といいBGMかもな」
しばらく沈黙が続いたあと、私はふと聞いてみた。
「ねぇ……高校卒業してもさ、こうして一緒にいられると思う?」
「……うん。俺は、そう思ってる」
「でも、進路とか、環境とか、いろんなことが変わるでしょ?」
「そうだな。でも……変わっても、“ひな”だけは離したくない」
その言葉が、心の奥まで染み込んでいく。
「じゃあ……約束しよ?」
「どんな?」
「卒業しても、どんなに忙しくても……月に1回は、こうしてふたりで歩く日を作ろう」
「……うん。約束」
傘の下、小指同士を絡め合う。
言葉よりも確かに伝わる想いが、そこにあった。

その日の放課後、夕焼けが校舎を赤く染めていた。
下校途中、ふと見上げた空があまりにも綺麗で。
「ねぇ、悠真。写真撮らない?」
「……写真?」
「うん。この空、すごくきれいだからさ、ふたりで残しておきたいなって」
スマホを手にして、画面を向ける。
悠真は少し照れたように笑って、でもちゃんと隣に並んでくれた。
「じゃあ、いくよ……3、2、1」
カシャッ。
画面には、夕陽と、ふたりの笑顔が並んでいた。
「……ふふ、いい感じ」
「俺、ちょっと顔引きつってる気がするけど」
「いいの。だってこれは、今この瞬間の“私たち”だから」
写真を見つめるその瞳が、少し潤んでいた。
「きっと、いつか見返したときに思い出すんだよ」
「この日も、大好きだったって」
そう呟いた彼女の横顔が、いつもよりずっと大人びて見えた。

日が落ちた帰り道。街灯の下、影がひとつに重なる。
ふたりで歩いてるのに、なんとなく沈黙が続いた。
「ねぇ、悠真……最近、私ばっかり“好き”って言ってない?」
「……え?」
「いや、なんか、別にイヤとかじゃなくて、でもちょっと不安で……」
言いながら、自分が情けなくなった。
でも、言わなきゃ伝わらないって、もう知ってるから。
「俺も、好きだよ。すごく」
真っ直ぐな声だった。
優しくて、強くて、迷いがなかった。
「……私も、もう一度ちゃんと言いたい」
「好き。悠真のこと、大好き」
涙がにじんだ。
でもそれは、悲しさじゃなくて、安心からの涙だった。
「……ひな、泣くなよ」
「うるさい……泣いてないし」
ふたりで笑って、見つめ合って、そっと手を繋いだ。
この気持ちが、ちゃんと届いてるって確信できた夜だった。
春風が頬を撫でる午後。制服の襟元に陽のぬくもりが宿る。
ふたりで歩く坂道は、あの頃と何も変わっていない。
「今日、あの公園寄って帰らない?」
「いいよ。ひなの言うとこなら、どこでも」
ベンチに並んで座ると、足元に桜の花びらが舞い落ちた。
「ねえ、あのときのこと……覚えてる?」
「もちろん。手を繋いだときの、あの鼓動とか」
「ふふ、私も……ずっと、覚えてる」
沈黙が心地いい。
ただ、それぞれの視線が同じ空を見ているだけで、十分だった。
「……ねえ、キスしてもいい?」
「……うん」
触れる直前、ふたりは同時に目を閉じた。
一秒。
永遠みたいに長くて、愛しいその一秒。
その瞬間を超えたとき、ふたりはもう、言葉すらいらなくなっていた。
「……ねえ、悠真。」
「君に触れる、その一秒前が、一番幸せだった」

— The End —
【第20最終話】『きみに、不器用な恋をした』
第20話「“好き”のその先へ」

春の風がやわらかく吹く日曜日の朝。
少し肌寒いけれど、どこか心が浮き立つような陽射し。
湊は早めに起きて、窓から空を見上げていた。
昨日のキスが、まだ頬に残っているような気がして。
思い出すだけで、胸の奥がじんわりと熱くなる。
スマホを手に取ると、ゆいからのメッセージが届いていた。
《今日さ、もう少しだけ遠くに出かけない? ふたりで》
迷いはなかった。
「もちろん」と返したあと、気持ちを整えるように深呼吸した。
待ち合わせは、少し遠くの駅。
私服のゆいは、春らしい淡いピンクのカーディガンに白のスカートを合わせていた。
「湊、こっちこっち」
嬉しそうに手を振るゆいの笑顔に、思わず湊の口元も緩む。
「今日、行きたい場所があるの」
電車に揺られながら、ふたりは目的地へ向かった。
車内は静かで、話す声も自然と小さくなる。
だけどその沈黙すらも、今は心地いい。
降り立ったのは、海沿いの街だった。
「ここ、昔旅行で来た場所なんだ」
「いつか、大切な人とまた来れたらいいなって思ってた」
その“大切な人”に自分がなっていることが、照れくさくて、でも嬉しかった。
海岸沿いの遊歩道を歩きながら、ふたりはたわいない話を続けた。
学校のこと、クラスのこと、お互いの好きな音楽や映画――
まだまだ知らないことがたくさんあって、それが楽しかった。
「ねぇ、湊はさ……将来、どんな風になっていたいって思う?」
不意にゆいがそう尋ねてきた。
「うーん……正直、まだちゃんとは決めてないけど」
「でも、自分の気持ちにちゃんと向き合って、後悔しない選択ができる人でいたいかな」
「それ、すごく湊らしいね」
ゆいはそう言って、少しだけ足を止めた。
海が広がる堤防の先に、ベンチがぽつんと置かれていた。
ふたりで並んで座ると、潮の香りがふわりと鼻をくすぐった。
「私ね、高校に入って、こんなふうに誰かとちゃんと向き合えるなんて思ってなかった」
「でも、湊と出会って、笑い合って、名前で呼び合って、手をつないで……
たくさんの“初めて”を、湊と過ごせて、本当に良かったって思ってる」
湊は何も言わずに、ゆいの言葉をひとつずつ噛み締めていた。
そして、静かに答えた。
「俺も同じだよ。ゆいと一緒に過ごす毎日が、すごく大事なんだ」
「“好き”って気持ちだけじゃなくて……もっと、深いところで、ちゃんと想ってる」
ゆいの目が、すっと潤んだ。
でも、それは悲しみの涙じゃない。
「ねぇ、湊。……これからも、ずっと一緒にいたいな」
「たとえ、これからいろんなことがあっても」
「うん。俺も、そう思ってる」
そうしてふたりは、また唇を重ねた。
ゆっくりと、ていねいに――
まるで気持ちの深さを確かめ合うように。
海の音が静かに響くなか、ふたりの時間は流れていった。
“好き”のその先にあるもの。
それは、信じること、支え合うこと、未来をともに描こうとすること。
まだ大人にはなりきれないふたりだけど、
この日交わした想いは、きっと、大人になっても変わらない。
春の終わり、少し大人になったふたりがいた。
──The End
この作品が良いと思った方は是非、ご愛読をお願い致します。
これからも色々な作品を出していきたいと思っております。
【第19話】『きみに、不器用な恋をした』
第19話「キスの理由、言えるかな?」

土曜日の午後。
図書館帰りのふたりは、駅前の小さな噴水前で一休みしていた。
「ねぇ……あの時のキス、覚えてる?」
ふいにゆいが問いかけた。
湊はすぐに、あの公園の夕暮れが脳裏に浮かんだ。
「うん、もちろん」
あのときの風の匂いも、光の色も、全部まだ胸に残っている。
「ずっと聞きたかったんだ。……あれって、なんでしてくれたの?」
その言葉に、湊は少しだけ戸惑った。
理由を言葉にするのは、思っている以上に難しい。
「……なんで、って言われると、ちょっと困るけど」
「たぶん……したくなったから、だと思う」
ゆいは小さく笑って、そっと湊の方を見た。
「それって、ちゃんと好きってこと?」
「……うん。好きだよ、ずっと前から」
その瞬間、ゆいの頬がふわりと赤く染まった。
でも、目を逸らさずに、まっすぐ湊を見ている。
「私もね……あの時、自分からもしようかなって思ってた」
「でも、勇気がなくて、できなかったんだ」
ふたりの間に、また少し静かな時間が流れた。
噴水の音が心地よく響いていた。
「じゃあさ……今度は、ふたりで一緒にしよっか」
ゆいが照れながら、けれど真っ直ぐに言った。
「……うん」
駅前のベンチに座ったまま、ふたりはそっと身体を寄せた。
まるで周囲の喧騒が遠のいていくような、ふたりだけの時間。
そして――重ねた唇は、前よりも少し長く、そして確かに“想い”がこもっていた。
言葉よりも深く、気持ちを伝え合える方法を、ふたりはまたひとつ知ったのだった。
──次回:第20話「“好き”のその先へ」
続きが気になる方は是非、ご購読を!
【第18話】『きみに、不器用な恋をした』
第18話「心の鍵、そっと開いた日」

金曜日の放課後。
空はどこか不安定で、雲の切れ間からときおり陽が差していた。
「今日は……屋上、行かない?」
下駄箱で靴を履きながら、ゆいがぽつりと聞いてきた。
湊は少し意外に思いながらも、うなずいた。
「うん、行こっか」
階段を上がる足音は、いつもより静かだった。
風に揺れるドアを開けると、屋上には少し強い風が吹いていた。
ふたりは、いつものベンチに腰掛けた。
しばらく何も話さず、ただ空を見上げていた。
「ねぇ……もしさ、私が過去にすっごく嫌なことあっても、引かない?」
突然の言葉に、湊は思わずゆいの横顔を見た。
「……引かないよ」
その言葉を聞いて、ゆいはゆっくりと口を開いた。
「中学のとき、少しだけ人間関係でこじれちゃって。友達って呼べる子が、気づいたら誰もいなくなってた時期があって……」
声は静かだったけれど、その奥にしまい込まれた痛みが伝わってきた。
「だから、高校に入っても、どこか壁を作ってた。誰かと仲良くなっても、いつか離れてくって思ってた」
湊は黙って聞いていた。
その目はまっすぐに、ゆいの言葉だけを追っていた。
「でも、湊と話すようになってから……少しずつ、怖くなくなったんだ」
「私、もう一回信じてみようって思えたの。人との距離も、自分の気持ちも」
ふっと、風が吹いた。
ゆいの髪が頬にかかるのを、湊がそっと指で払った。
「ありがとう。言ってくれて」
「……うん」
「俺、何もできないかもしれないけど……それでも、そばにいたいと思った」
ゆいは、涙をこらえるように目を伏せた。
でもその口元には、かすかな微笑みがあった。
「そばにいてくれるだけで、十分なんだよ?」
それは、彼女がようやく心の鍵を開いた瞬間だった。
そして湊は、その扉の向こうに、ちゃんと踏み込む覚悟を持っていた。
ふたりの距離が、確かに変わっていく――そう感じた、夕暮れ前の屋上だった。
──次回:第19話「キスの理由、言えるかな?」
続きが気になる方は是非、ご購読を!
【第17話】『きみに、不器用な恋をした』
第17話「ひとりじゃ見られなかった景色」

週の半ば、水曜日。
今日はめずらしく6時間授業で、放課後に少し余裕ができた。
帰り支度をしながら、ふと隣のゆいが言った。
「ねぇ、ちょっと寄り道してもいい?」
湊は驚くこともなく、自然にうなずいた。
「うん。どこ行きたいの?」
「ちょっとだけ、登ってみたい場所があるの」
ふたりが歩いて向かったのは、学校から15分ほど先にある、小さな丘の展望台だった。
街の住宅地を抜け、細い坂道を登っていく途中、草木の香りと、どこか懐かしい空気が流れていた。
「ここね、昔引っ越してきたばかりの頃に、家族で来たことがあるの。
それ以来、一人で来るのはちょっと勇気が出なかったんだけど……」
展望台に着くと、そこには街を一望できる広がりがあった。
夕暮れにはまだ早い時間帯だったけれど、空は青く澄んでいて、遠くのビル群までくっきりと見えた。
「うわ……」
湊は思わず言葉を漏らした。
風が頬をなでていく。心の中まで洗われるような、そんな気持ちだった。
「どう?」
「すごい、知らなかった。こんな景色、ここから見えるんだ」
「ふふ、来てよかった」
ゆいはそう言って、柵の前に立った。
制服のスカートが風に揺れ、陽の光に少し透けて見えた。
「なんかさ……誰かと一緒じゃないと見えない景色って、あるんだね」
「え?」
「こうして、ゆいと一緒にいるから、きっとこの景色が特別に見えるんだと思う」
ゆいは一瞬驚いたような表情を見せたあと、ふっと笑って、湊の肩に寄り添った。
「湊って、たまに不意打ちでそういうこと言うよね」
「え、そんなつもりじゃ……」
「でもね、そういうところ、好き」
湊はその言葉に一瞬息を止めた。
何も言えず、ただ静かに横顔を見つめる。
ふたりの間に、穏やかな時間が流れる。
手はつながなくても、心はぴったりと隣にあるような気がした。
「ねぇ、また来ようよ。この景色、ふたりで」
「……うん。何度でも」
ふたりで見るから、きっとこの景色はもっと好きになる。
湊はそう思いながら、目の前の街並みにそっと目を細めた。
──次回:第18話「心の鍵、そっと開いた日」
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【第16話】『きみに、不器用な恋をした』
第16話「手をつなぐ理由」

次の日の放課後。
いつものように屋上に向かうと、すでにゆいがベンチに座っていた。
「遅いよ、湊」
「ごめん、ちょっと先生に呼ばれてて」
風が少し強く吹いて、ふたりの制服を揺らす。
どこか春の匂いを残した風だった。
「ねぇ、今日はさ……」
ゆいが言葉を切って、少しだけ視線を泳がせた。
「ん?」
「……一緒に帰ろっか」
湊は一瞬、意外そうな顔をしたが、すぐにうなずいた。
「……うん、行こっか」
校門を出て、並んで歩く帰り道。
少し遠回りの公園ルートを、ゆいが自然に選んだ。
「今日ね、クラスの子に“彼氏と手つないだりするの?”って聞かれたの」
「え、そうなんだ」
「で、“まだ”って答えたら、めっちゃ驚かれた」
湊は顔を赤くしながら、思わず目をそらした。
「……俺、そういうの、タイミング難しくて」
「わかってる。でもさ、今日がそのタイミングかもよ?」
ふたりの歩幅が、ぴたりと揃う。
そして、ゆいの手がそっと湊の手に触れた。
一瞬、その場の空気が止まったような気がした。
湊はゆっくりと、自分の手を重ねた。
「……あったかい」
「うん。湊の手、落ち着く」
握った手から伝わる鼓動。
それは言葉よりも、ずっと正直で、ずっと優しかった。
「手をつなぐのって、理由なんかいらないのかもね」
「……そうだね。理由なんてなくても、つなぎたいと思ったら、それでいい」
ふたりは、手をつないだまま夕焼けに染まる道を歩いた。
それは、何気ない日常のなかにある、確かな幸せだった。
──次回:第17話「ひとりじゃ見られなかった景色」
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