『霧のロッヂで、夜はまだ明けない』

第1章|招かれざる訪問者
「山奥って聞いてたけど……ここまでとは」
ぬかるんだ地面に足を取られて、靴の底が湿った。
くねくねとした山道を越えた先にあったのは、
霧に包まれた、古びたロッヂ。
……静かすぎる。鳥の声もしない。
(無言で空を見上げる)
美琴。無口だけど、一番信頼できる親友。
この課外学習も、彼女がいたから参加した。
でも、ロッヂの入り口……
開いてる。
「先生、先に来てるはずじゃなかった?」
(うなずく)

人の気配がない。
だけど、湿った床に……何かが落ちてた。
スマホ。
画面が割れてるけど、電源はついてる。
ロックも……かかってない。
……
写真フォルダ。
最新の画像が、1枚。
――そこに写っていたのは、“顔”。
光のない目。開いた口。
……でも、人間じゃない。
加工? それとも……誰かのいたずら?
……いや、違う。
(しん……)
このとき、まだ知らなかった。
この“顔”が、
これから私たちの夜を狂わせていくことを。
第2章|夜が始まる
深夜0時。
ロッヂの廊下に、
誰かの足音が――ひとつ、増えた。
「……美琴、寝た?」
「……うん」
声が少し震えてる。
私も……寝れない。
だって、部屋の外から、さっきから……
カタッ
って音が、ずっとしてる。
……
トイレに行こうとして、
廊下に出たら、空気が変わった。
床、きしんでる。
……きぃ……っ
階段の下。
なにかが、いる。
人影。でも、すぐに霧に紛れた。

(……見間違い?)
部屋に戻って、美琴の方を見ると……
彼女の目が、ドアを見つめていた。
「……誰かが、立ってる」
コン……
コン……コン……
ゆっくりと、ドアが叩かれた。
「誰……なの……?」
……

返事はなかった。
そのかわり――
下から、ノブが……ゆっくりと、回った。
第3章|見てはいけない
ドアノブが回る。
美琴と顔を見合わせて、私は――
「開けて、いい……?」
「……うん。ゆっくり……」
……
カチリ。
開いた隙間から、
誰かが立っていた。
――顔が、ない。
というより、“見えない”。
服は制服。
でも、輪郭が滲んでいて、目も鼻も……ない。
「っ!」
私は一気にドアを閉めた。
心臓がうるさい。
「茉白……」
美琴の声。
でも、そこに――彼女の姿はなかった。
え……?
部屋に、ひとり。
あんなに隣にいたのに。
「美琴? ……どこ……?」
……

ふと、廊下の奥。
暗闇の中に、
誰かがうずくまっている。
――いや、違う。
見ている。
こっちを、笑って。
私は、叫べなかった。
第4章|呼ばれた名前
闇の中で“それ”が笑ったあと――
いつのまにか、そこには誰もいなかった。
でも、空気は変わっていた。
ぬるい。
肌にまとわりつくような、嫌な熱気。
……
「ましろ……」
声が聞こえた。
でもそれは、美琴の声に似ていて、
どこかが違う。
音の奥が、濁っている。
「美琴……?どこにいるの……?」
ふらふらと、声に導かれる。

ロッヂの奥――誰もいなかったはずの
物置の扉が、わずかに開いていた。
中には階段があった。
下へ、下へ。
コンクリの床。蛍光灯の光。
地下……? こんな場所があるなんて、
誰も言ってなかった。
そこに、棚と机。
そして――1台のスマホが置かれていた。
画面が光っている。
動画の再生画面。
勝手に、再生された。

……
映っていたのは、美琴。
でも、それは……美琴“ではなかった”。
顔は同じ。声も、同じ。
でも、目が、笑っていない。
そして、カメラの向こうで、
なにかを引きずっている音。
「やだ……これ、なに……?」
そのとき。
背後から、
「……ましろ」
肩に、冷たい手が触れた。
第5章|扉の向こうの“美琴”
肩に触れたのは――
美琴、だった。
「……どうしたの? 顔、真っ青だよ」
でも、その声が。
目の奥が。
なにか、違う。
「地下に……誰かがいたの……スマホが……」
「え? 地下……? 何の話?」
首をかしげる“彼女”。
でも、私は知ってる。
そこに、確かにいた。もうひとりの“美琴”。
部屋に戻って、ふたりで鏡の前に立ったとき――
……

鏡に、映っていた。
美琴が、ふたり。
「……え?」
「……私、そんな顔してる?」
右側の美琴は、笑っている。
でも、左側の美琴は……
涙を流していた。
「……ねぇ、ましろ」
「どっちが、私だと思う?」
「やめて……そんなの、わかんない……」
鏡が、軋む。
それは、現実なのか、記憶なのか。
でも私の中で、
“美琴”が、ふたりになってしまった。
第6章|本物の選択
ふたりの“美琴”が私を見つめていた。
ひとりは涙を流し、
ひとりは笑っている。
「どっちが……本当の、美琴なの……?」
「私は、ずっと隣にいたよ」
「さっきまで、一緒に寝てたじゃん」
確かに。あの声は、美琴そのもの。
でも。
机の上に置いてあった、あの写真。
ふたりで撮ったプリクラ。
“本物の美琴”は、
そのとき髪を切ったばかりだった。
(……この美琴、髪が長いままだ)
私は、手を伸ばした。
“泣いている”美琴の手を、握る。
「こっちが……本物、だよね」
すると、笑っていた“もうひとり”の美琴が
にたり、と笑って
すうっと、鏡の中に沈んでいった。
まるで最初から“映像”だったみたいに。
……

「……ありがとう」
声が、震えていた。
私は、美琴の手を強く握り返した。
――その瞬間。
部屋の明かりが
バチン、と消えた。
私たちはまだ、手を繋いだまま。
でも、暗闇の中で
“その手”の温度が、変わった。
第7章|記録された声

停電の中、非常灯の赤い光だけが、天井でうごめく。
私は美琴の手を引いて、ロッヂの奥へ。
そこで見つけたのは、“管理室”と書かれた部屋だった。
埃まみれの机の上。
そこに、小さなボイスレコーダーが置かれていた。
「……再生、してみても……いい?」
「……うん」
カチッ。

再生ボタンを押すと、
ノイズ混じりの、男の声が流れた。
『……記録日時、2005年10月12日。対象、生徒・斉藤美琴――』
私は耳を疑った。
「いま……美琴って、言った?」
「……私、じゃない……と思う……」
音声は続いていた。
『……生徒はロッヂの階段から姿を消したまま、未発見。』
『最終的な記録映像には、“笑う生徒の背後に誰かが写っていた”』
ノイズが走り、最後に――
『……ましろ、見つけた……』
それは、
“美琴の声”だった。
となりにいる彼女が、
震える指で、自分の唇に手を当てた。
「……あれ、私……今、しゃべった……?」
第8章|取り憑かれた時間
録音が止まったあと、しばらく私たちは黙っていた。
「ましろ……」
「私……このロッヂ、来たことある気がする」
「え? でも初めてでしょ……?」
美琴の目は虚ろだった。
「なんか、昔……ここで、誰かといたの……誰だっけ……」

ギッ
部屋の奥に置かれていた時計が、音を立てた。
秒針が……
逆に動いてる。
何かが、戻ってる。
時間そのものが。
私の視界がぼやけ、空気がねじれた。
「美琴っ! 手、離さないで……っ!」
……
気づいたら、私はひとりだった。
廊下も、ロッヂも、色が変わってる。
……違う。
ここは、過去の“ロッヂ”。
10年前。

カレンダーには2005年の文字。
遠くから声がする。
「ましろ……また、見つけちゃった……」
その声に、私は振り返る。
でも、そこには鏡だけがあった。
映っていたのは、
“私じゃない”私。
「……私、誰……?」
第9章|鏡の中の約束
部屋の空気が、ふっと冷たくなる。
なのに、私の背中には汗が伝っていた。
鏡の前に立つと、
そこには……私が、いた。
正確には、“もうひとりの私”。
同じ制服、同じ髪型、同じ目。
でも、目だけが違った。奥の奥まで、空っぽだった。
「……誰……なの?」
鏡の中の“私”は、ゆっくりと口を開いた。
『――わたし。だけど、あなたじゃない。』
声が、耳元で囁くように響いた。震えるような高音。
『ここに残って。わたしの代わりに。』
意味が、わからなかった。
でも、心の奥がなぜか、それを理解していた。
“このままなら、誰かが消える”。
「嫌……戻りたい。美琴と一緒に……帰りたいの」
『それなら、選んで。』
『“約束”を、交わして。』
鏡に触れた指先が、冷たいのに吸い込まれそうになる。
そのとき、遠くから聞こえた。
「ましろっ! 聞こえる!? 私、ここにいるよっ!」
美琴の声。
その声が、胸の奥を掴んだ。
「わたしは……っ」
言葉にならない叫びを、私は吐いた。
鏡の中の私と、見つめ合ったまま。
『――交わそう。ふたりの、約束を。』
その瞬間、鏡が――音を立てて砕けた。
そして私は、暗闇に落ちた。
最終章|ふたりは、どこへ還るのか
目を開けたとき、私はロッヂのベッドに横たわっていた。
朝の光が差し込んでいる。小鳥のさえずりも聞こえる。
夢だったのか――そう思いたかった。
「おはよう。起きた?」
ドアを開けて、美琴が顔を出す。
いつもの、美琴。
でも、私の胸はざわついたままだった。
ふたりでロッヂを出た。山道を下り、バスに乗った。
誰にも会わなかった。
ただ、空だけが青すぎた。

「……なんか、変だよね」
「うん。街、静かすぎる……」
いつもの駅、いつもの街並み。
でも、時計の針が、
朝の7時35分から動かなかった。
そのとき、スマホが震えた。
画面には、見覚えのない送信者。
添付されたのは、1枚の写真。
植物園で撮ったはずの私たちの後ろ姿。
でもそこには――
“影”が、3つ、あった。
私と美琴の間に、もうひとつ。
人影のようでいて、形が歪んでいた。
顔は、映っていなかった。
「ねぇ……これって……」
「……まだ、終わってないんだよ」
ふたりは顔を見合わせた。
笑っていたけれど、
その笑顔は、鏡に映らなかった。
― END ―